6月のカレンダー2012/06/03 10:22

映画専門雑誌「スクリーン」付録の6月のカレンダーは、「何を隠そう!」(このフレーズは亡くなった土居まさるさんがよく使っていました)、スティーブ・マックィーンだ。マックィーンとの出会いは、中学校の頃(小学生だったかな?)、松竹セントラルでリバイバル上映された「大脱走」を見た時だと思う。同級生と一緒に見に行き、完全にはまってしまった。当時の映画館は、朝イチで入館したら、何回見てもよいことになっていたので、いつも最低3回は見ていたと思う。007シリーズやアメリカの有名な俳優の存在を教えてくれたのも、実はその同級生で、彼の家に遊びに行くと、早川の007シリーズの原作やアメリカのコミックなどがあり、単純にカルチャーショックを受けたものだった。彼とはその後、「GIジョー」の人形や、田宮の戦車プラモ「キングタイガー」「タイガーⅠ型」などを作って遊ぶ仲になった。

話は戻るが、従ってマックィーンの映画で好きなのは、この「大脱走」となる。その後テレビでマックィーンが主演する「ハネムーンマシーン」という、B級コメディ、「シンシナティキッド」などを見るようになり、徐々に本格的なファンの道を歩むようになったわけです。
僕個人は、そのB級コメディ「ハネムーンマシーン」も好きで、ビデオがなかった時代なので、テープで音を録音し、何回も聞いていた記憶がある。

その頃のマックィーンは、「ブリット」「華麗なる賭け」まではすべてヒット。次の「華麗なる週末」が今いちだったと思う。これはウィリアム・フォクナーの文学作品「自動車泥棒」(だったと思うが?)が原作である。この頃からこの俳優は単なる人気アクション俳優ではなく、文学作品の映画化に踏み出していくのだ。

1970年代には、イプセンの「民衆の敵」という作品を作ったが、全くあたらずしかもマイクの影が映りこんだシーンがあったため、結局お蔵入りとなった。もちろん、ボクはこの作品をロードショーで見ており、パンフレットも持っている。ある意味ではお宝ものだ。でも、お蔵入りはもったいないと今も思う。今は誰がこの作品の所有者かわからないけど、DVDで復活させて欲しい。もしかすると、マックィーン家が所有者かもしれないけど、我らファンは待っておりますので、何等かの善処をお願いしたいところである。

ニフティーの同窓会2012/06/02 12:51

ボクとBBSとの関わり
久しぶりに、ニフティーというBBSを覗かせていただいた。思い起こせば、それこそ今から30年ほど前のことで、今から考えるとすっごく通信回線スピードの遅いモデムを使って、パソコン通信を始めたボクが居て君が居た(^o^)時代である。当時は、富士通系のニフティーとNEC系のビッグローブが2大巨頭として君臨していた。設定もボクには大変だったが、NEC系は表示画面にくせがありなじめず、自然にニフティーに立ち寄ることが多くなった。
しかし、どちらも非常に幅広いテーマのフォーラムをたくさん抱えていたので、ビギナーにはやや敷居が高い場所でもあったのだ。ボクの場合は、時を同じくして、角川出版のゲーム雑誌「コンプティーク」の編集部に友人がいたので、まずその「コンプティーク」のBBSから始めることにした。でも、ゲームは好きだが、ここに集まってくる奴らほどのめり込む方ではなかったので、そのうちにここもどんどん遠のいてしまった。
その後、朝日新聞の告知で「ASAHIパソコン」の創刊とビギナーを対象にした運営を謳っていた「ASAHIネット」の立ち上げを知り、ここに参加することにしたのだ。
ここでBBSとの関わり方をいろいろと学ばせてもらったが、そうこうしているうちに「シネマクラブ」という会議室のモデレーター(管理者)に選任され、数年ほどギャラをもらいながら運営させていただいたのだ。多分その会議室には、キネマ旬報やロードショー、スクリーンといった映画雑誌のフリーライターの方々がたくさんいらっしゃったと思うが、ずぶの素人が一著前にいわゆるシスオペをしていたわけである。今から思えばよき思い出である。
眼鏡業界編
 ちょっと補足すると、NEC系は今分かる名称でビッグローブとしたが、当時は「PC-VAN」と言っていた。「ニフティー」と「PC-VAN」と聞いただけで、めっちゃなつかしい年代の方もいることと思う。
 そして「シネマクラブ」でモデレーターをしている頃、メガネ店の有志ら数名が中心になってメガネ店のための会議室が「ニフティー」の中に出来た。当時、私が務めていた業界紙でも大々的に告知のお手伝いをさせていただいた。この頃が多分BBSの黄金時代と言えるだろう。毎日毎日、何等かの書き込みがあり、それに対して返事をしたりということが続いたと記憶する。
 しかし、時代の進歩は早い。すぐにインターネットの時代がやってきたのだ。BBSというのは、その運営する会社の会員にならなければ、さまざまなサービスやフォーラムに参加できないし、メールでのやり取りもできなかったのだ。それがインターネットになると、そんなものに縛られずに相互のコミュニケーションを図ることができる。さぁどっちがお得かよぉーく考えてみよう・・・と考えるまでもなく、ユーザーはどっとインターネットの利用に流れたのだ。
 そこで我々もインターネット上に「眼鏡WEB」というホームページを開設。そしてコミュニケーションの手段は「メーリング」というシステムを採用した。インターネットの時代になり、このメーリングと掲示板という機能が身近なものになったような気がする。
 ボクは、それほどパソコンに詳しいわけでないので、今ブームのSNSというのは、このメーリングや掲示板が発展したものという、非常におーざっぱな解釈をしている。便利さにおいては、確かにSNSは便利だが、やっていることはそれらに近いという印象を持っているからだが、年齢と共にそろそろ新しいものへの関心度が薄れ、次第に仕事上でインターネットを利用するだけになってしまった。
 その後、同年代の方のお勧めでSNSをはじめ、現在に至っております。

5月はジュリー・アンドリュースです2012/05/05 10:29

映画専門雑誌「スクリーン」の付録のカレンダー5月は「ジュリー・アンドリュース」です。たしか、4オクターブの声域を持ち、ある主の天才肌ともいえる才能に恵まれていた人だと思う。
オードリー・ヘップバーンの代表作の一つ「マイ・フェア・レディー」のイライザは、ブロードウェイの舞台版ではジュリーアンドリュースが演じ、結構好評だったものだ。しかし、映画化するにあたり、ハリウッドの映画会社のお偉方たちはどれだけ客を呼べるのかのそろばん勘定で、オードリーに決めた話は有名。「興行」というビジネスは非常に冷酷であり過酷なのだ。それだけに、一発当ててヒットすれば、それで一気にスター街道まっしぐらというサクセスストーリーもあった世界でもある。
残念ながら、オードリーは映画「マイ・フェア・レディ」で自身の声で歌っていない。地声とは似ても似つかぬ声の方が歌っている、というのも有名な話。
話は「ジュリー・アンドリュース」であった。ボクが一目惚れしてしまった作品は、ディズニー映画「メリー・ポピンズ」であった。ロードショーではなく、リバイバルの時に見た。あまりミュージカルに興味がなかったが、母の強い勧めで見に行ってみたら、高校生の多感な男の子はガーンという衝撃に見舞われたのだった(ちなみに、こんな風に映画の女優を見て、ガーンとなったのは、このほかに「ライムライト」に出ていたグレア。ブルームがいます。今となってはみんなお婆さんですが・・・)。
従って、朝イチから終演まで、映画館に入って出てこない見方を何度もしたことを覚えている。今の映画館では出来なくなったが、昔はこれが出来たのね。

続いて「サウンド・オブ・ミュージック」を見ることにした。これも「ガーン、ガーン」と二発ほど食らったと記憶する。この作品には「ドレミの歌」という楽曲があるが、当時のボクは、ペーギー葉山という歌手のイメージが強く、学校の音楽の教科書に出てくるような曲なんて、「けっ、しゃらくせぇい」とずっと食わず嫌いの態度をとっていた。「メリーポピンズ」は、ボクの人生を見事狂わせてくれた。
実はジュリーアンドリュースの作品は、このほかは知らない。ちょこちょこと出演作はあったかもしれないが、興行的には多分失敗作ばかりであったろう。
ジュリーアンドリュースの魅力は、気品があって、おしゃまさんというキャラかなと思う。多分当時はいろいろなことに我慢せねばならない日本の女性に受けたのではないだろうかと想像する。
今もってよく分からないことは、あの「ピンクパンサー」シリーズの監督、ブレイク・エドワーズとどういった経緯で結婚されたのか、ということだ。余計なお世話だということは百も承知ですが・・・。

4月はアラン・ドロンです2012/04/01 15:13

お約束の、映画雑誌「スクリーン」の付録カレンダーのご紹介です。4月は「アラン・ドロン」でした(^o^)。
僕が高校生から大学生頃との人気投票ではほぼ1位を独占していたのではないかと思う。映画作品の印象よりも、人気投票で話題の俳優のイメージが僕には強い。その彼も77歳になるんですね。
たくさんのヒット映画に出演されているが、僕が好きな作品は「太陽がいっぱい」「冒険者たち」「さらば友よ」「ボルサリーノ」だろうか。
一歩間違えば、相手役に食われてしまうような個性の強い男優との共演作が好きだ。例えばリノバンチェラ、チャールズブロンソン、ジャンポールベルボンドらの作品で、いずれもヒットした。
「太陽がいっぱい」は、原作本も読んだことを思い出したぞ。
また日本のCMに出演したこともあって、スーツの「ダーバン」に起用されていた。僕はアランドロンとは似ても似つかない容姿であったが、社会人になった時の一番最初のスーツは「ダーバン」を買ったのだ。CMの中で「セホニャラララ、ダーバンホニャラララ」とアラン・ドロンのセリフがあるのだが、いまだに何と言っていたのかよくわかっていないのだけれど。
そして声優は、野沢那智さんが定番。どんな作品でもこの方が声優を担当していたのではないかと思う。幼い頃の僕は、アラン・ドロンの声は、本当にその声だと思い込んでいた時期もあった。バカですね(^^ゞ。

3月は「グレース・ケリー」2012/03/04 09:23

スクリーンの付録カレンダー3月のスターは「グレース・ケリー」です。
昔の映画雑誌では、女優からモナコ公妃になった方なので、夢のようなサクセス・ストーリーの、何か映画の世界をそのままいくような扱いだった。まぁ、実際我々から見れば、本当にサクセス・ストーリーではあるけど。
僕にとって、グレース・ケリーの映画で印象が強いのは、やはりヒッチコックの「裏窓」だ。カメラマン役のジェームス・スチュアートの恋人役で出演していた。異国の女優とはいえ、東洋の片隅で生きている僕にさえも、その気品や色気というものが伝わってきたことを覚えている。
多分男にとっては理想的な女性像を演じていたのだろう。それが出来たというのも、作品に恵まれたのだろうなぁ。
「美人薄命」というが、不幸なことに交通事故により、52歳の若さで亡くなった。こういう年齢で亡くなると、永遠に52歳のままの状態で時間が止まってしまうことになり、この女優は何か永遠に老けない魔法の呪文にかかったような気がする。